Curator Note:
 
 本展覧会は、イメージにおける「フレーミング」に着目し、作家のイメージの捉え方に対して展示空間を通した考察を試みる。
 80年以降、写真というメディアの占める位置は、映像メディアの発展に伴い急速な変化を遂げてきた。旧来、撮影技術・印刷技術が表現と密接に結びついていた写真というメディアにおいて、「写ルンです」や「プリクラ」をはじめとした商品の台頭は、技術と表現の結びつきを組み換え、新たな表現を生み出してきた。
 デジタル写真の高性能化とインターネットの発展は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)として結実した。SNSにより、双方向にこれまでよりもより多くの人たちが、急速な速さで写真を所有し共有することが可能となった。
 このようなインフラ整備は、写真をメタメディアとして位置づけている。それは、今日の美術作品においても同様である。現代美術をはじめ様々に展開される絵画、彫刻、インスタレーションなどの表現が、写真という媒体によって記録され流通していること。つまり、記録されない作品は美術作品としての定位を築くことが出来ないということである。サイトスペシフィックなインスタレーションやパブリックアートなどの持ち運ぶことが不可能な作品、恒久性を伴わない作品においては、記録撮影するということが美術作品として定位することの条件として内包されている。写真とは、基本的には対象からの光をレンズが集約することで像を結び、印画紙に焼き付けたものである。つまり、写真に撮られた対象は「あった」ものとしてその存在が担保されることになる。写真がメタメディアとして位置付けられるのは、このような写真のメカニズムによる記録性からである。
 このように、写真の共有化が進み、記録性からのメタメディアとしての地位を得た、写真において、「フレーミング」は写す対象と同様に重要な要素である。それは、一般に「映え」として認知されている。レンズを対象へ向ける「フレーミング」は、これまで写真家にとって技術であり思考そのものとして扱われてきた。それは、画像編集が容易になった現代においてより一般的な編集行為となり、撮影において「画角」、編集では「トリミング」、「マスク」などの名称で呼ばれるものである。
 現在のデジタルカメラを用いれば、何千枚、何万枚もの写真を撮影することは、容易である。動画からの画像の切り出しを行えばなお、お手軽なものとなった。そのような意味では現代における写真は撮影行為よりも選択行為や編集行為に比重が置かれているといえる。それは、撮影や編集時において様々に名称が変わる「フレーミング」という行為に表れる。作家、SNSの投稿画像においても「フレーミング」とは、どのように世界をみて、切り取り、またはどのようにイメージを受け入れるのかという点に集約される。そのような意味において、作家やSNSにおける「フレーミング」に相違は無い。しかしながら、その「フレーミング」においてそれを決定するある種のコードは、当然個別の働きである。
 本展覧会名である「imshow」とは、Pythonをはじめとしたアプリケーション開発に用いられるプログラミング言語であり、主な機能としては、コンピューターのディスプレイ上にイメージを表示させる際に用いられる。本展では「フレーミング」を再考するにあたり、作家をある種のコードとみなして、作品とドキュメント(本展ではオリジナルプリントに対して、キュレーターが編集した画像をドキュメントと位置付ける。)から展示空間を構成する。作品とドキュメントを対比させ再解釈することで、作家におけるコードを浮かび上がらせる取り組みは、作家の眼差しやそれに伴う「フレーミング」という行為を現前化させる。
 このような作家の思考がコードとして表示される展示空間は、私たちと映像メディアとの関係性を刷新する「フレーム」となる。
[出展作家]
 岩崎 広大
 篠田 優

[キュレーター]
 岡田 翔
[デザイン]
 岡田 翔


Interview | Documentation
In a different way of documentation
Photo by yu SHINODA
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